みなさん、りゅう@kawamuraryuです。
今回は玉造稲荷神社です。
玉造稲荷神社の近所は昔は当時の有名な大名がいっぱい住んでいて、もうちょっと近代には芸人さんの寄席とかもあってかなり賑わっていたところだそうですよ^^
これは、チェックしに行かねばということで玉造稲荷神社を散策散策〜^^
当時の芸人さんのたまり場玉造稲荷神社
昔は玉造稲荷神社の境内に舞台があって当時の芸人さんがいっぱい出てたんですって。ちゃんと幕府からの許可もあったみたいですよ。寄席をするのに幕府の許可が必要やったんですね。
玉造稲荷神社は大坂で演芸が出来る9社のうちの一つやったそうです。舞台は明治13年に再建されて「奉納演芸」ってジャンルで芸人さんがたくさん活躍してたんですね^^
当時は、玉造に芸人さんがいっぱい住んでて芸人が集う場所に玉造稲荷神社はなってたんですね。
漫才作家の秋田實さんも幼少の頃によくこの境内で遊んだり演芸好きな親と寄席に通ってたんですって。秋田實さんは「しゃべくり漫才」の祖と言われている「横山エンタツ・花菱アチャコ」さんの漫才作家さんですね!!
吉本の学校NSCで僕も勉強しました^^
豊臣秀頼公の銅像発見!!
玉造稲荷神社には秀頼公の銅像が思わなぬところにそびえ立っていました^^思わず「おお、こんなところにてらっしゃいましたか!」と心の中で叫んぢゃいました!こっそりと、、
豊臣秀頼は豊臣秀吉の三男で秀吉の側室の茶々の第二子にあたる人物ですね^^戦国時代の家系図はややこしいですね!!でも実は豊臣秀吉の子供じゃない説的なのもあるそうですよ!!
でも、それを言い出したらきりがね〜〜〜〜ぜ!!って心の中で叫びましょう。
豊臣秀頼は幼少の頃から帝王学を学んでたそうですよ。人のうえに立つ気満々やったんですね^^
この鳥居は今は使われていないですけど、秀頼が神社再興時に奉納した鳥居なんですね!!今でもあるってチョ〜ヒストリーですね^^秀頼と同じものを見てると考えるとこれまたチョーヒストリーですね!!
こんな感じでこの玉造稲荷神社は大阪城とか豊臣家との関係が深い神社なんですね。「いつもご贔屓にありがとうございます神社」やったんですね^^
千利休の井戸!
千利休が使っていたという井戸もありましたよ〜!!
千利休の屋敷がこのへんにあったんですって^^他にも有名な大名もこの玉造にはいっぱい住んでたんですって。玉造は今の代官山みたいな感じのとこなんですかね??どうなんですかね??
エンディング
玉造稲荷神社は隠れ豊臣家ゆかりの地みたいな感じですね^^芸人さんの歴史もつまっていてなんかいい空気感でしたね。たぶん^^
さっきから玉造玉造って単語を連発しているけど一応、最寄駅は森ノ宮駅になるそうで〜す。
近くの僕の行った大阪スポットもぜひチェックして見てくださ〜い^^
Twitterで@kawamuraryu 他にもいろいろしているのでぜひみてみてくださいね〜!