みなさん、りゅう@kawamuraryuです。
今回は大阪観光での歴史巡りでは欠かせない観光地!!四天王寺にやってきました。四天王寺ってこんな外国人観光客おおいんですね?っていうくらい外国人観光客がたくさんいました^^
さあ、今回はかなり大阪にある日本の歴史を代表する史跡に行ってきま〜す^^
四天王寺は、聖徳太子建立七大寺の一つとされてて四天王寺は金堂、五重塔を持っている日本最初の仏教伽藍ですね。日本のこの感じの作り方のお寺の走りが四天王寺になるんですね^^
聖徳太子の鐘??
四天王寺の鳥居を超えたくらいに小さい鐘の『聖徳太子影向引導の鐘』って名前の金があります。この鐘を三回鳴らすと聖徳太子が亡い魂を極楽浄土の世界に導いてくれるんですって。亡い魂ってなに?
気づいてないから亡魂なんですね!!ういうい^^
聖徳太子影向引導の鐘の横に「引導石」があってそのへんに説明文にありましたよ〜!!もうちょっとしっかり書いてますけどね^^
四天王と推古天皇と聖徳太子の関係
四天王寺は推古天皇が建てたお寺ですね。でも推古天皇は女性の天皇で政治を聖徳太子にある程度を一任してたとか??
聖徳太子は推古天皇の甥になるので、推古天皇は甥に聖徳太子を「摂政」にして、政治を任せることにしたんですって。「摂政」は、天皇が幼かったり、病弱やったり、また女性の天皇やったときに天皇の政治をたすける役職ですね。
どっちにしろ聖徳太子が活躍した時っていうのは推古天皇の時代になるんですね^^だいぶ、推古天皇に好かれてたんですね!!
なので、聖徳太子が推古天皇にお願いして四天王を建ててもらったっていうイメージなんでしょうか??
ちなみに聖徳太子と呼ばれる前は厩戸皇子と呼ばれていましたけど、それは、厩戸皇子が馬小屋(うまやど)の前でうまれたからそう名付けられたそうなんですよ!!テキトーか。
四天王寺の名前の由来
四天王寺が建てられた経緯は、当時は大豪族の争いがあって蘇我氏と物部氏の戦いがバチバチやったらしく少年皇子の厩戸、後の聖徳太子が蘇我氏方の軍勢にいてたそうです。
それで少年皇子の厩戸は戦いの期間は四天王に「勝たせてくれ勝たせてくれ!」お祈りしてて「勝たせてくれたら四天王に寺作る」って約束して勝って四天王寺ができたそうですよ。
四天王のためのお寺なんですね。
四天王の名前は
- 持国天
- 増長天
- 多聞天
- 広目天
韓国の仏国寺にも同じ四天王がいましたね^^四天王の皆さんはいろいろなところにいてるんですね!!
当時の芸能!!
聖徳太子の頃に雅楽が入ってくるし中国や朝鮮の舞や音楽もこの聖徳太子の時代から放り出したそうですよ。
この石舞台の上でも当時の芸能、雅楽や舞や能の演舞も披露してたんですかね??
エンディング
今回は大阪の歴史観光には欠かせない場所の四天王寺になりました^^大阪の聖徳太子ゆかりの地でした^^大阪の他の歴史スポットもぜひ行って見てください〜!!
Twitterで@kawamuraryu他にもいろいろしているのでぜひみてみてくださいね〜!
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