みなさん、りゅう@kawamuraryuです。
今回は、仏像盛りだくさんでおなじみの三十三間堂です!!外国人の観光客もいっぱいいましたよ。今や世界中で人気の観光スポットになった三十三間堂に行ってきま〜〜す。
三十三間堂の見どころは本堂の中の仏像様たちですね。
三十三間堂の仏様の数!!!
正式名称は蓮華王院本堂っていうそうですよ。これから三十三間堂のことを「蓮華王院本堂」って呼ぶようにしたら地元のモノシリ伯爵キャラ決定ですね^^
三十三間堂の名前の由来は「33」っていう観音様に縁のある数字からとってるのが三十三の由来なんですって。観音菩薩が33種類の姿に変化して人々を救ってくれるんですって。まさに、「我仏なり^^」状態ですね。
三十三間堂のお堂の中にいてる千手観音立像の数は1001体にもなるそうですよ。なかなか圧巻ですよ!!写真はもちろんないですけどね。
三十三間堂の仏の数は三万三千三十三体って言われるそうですけど、その由来は千手観音立像の数の1001体が33の種類の姿に変化するみたいなところからきてるそうです。
「1001 × 33 = 三万三千三十三体」
って感じなのが由来みたいですね!中の写真はないですけどね。
三十三間堂のお堂の中に千手観音立像が1001体もいるから、なかなか圧巻ですよ。外観からは想像できないですね^^
「外観シンプル + 内観圧巻 = 三十三間堂」って僕が言ってました。
三十三間堂の歴史的な話!!!
三十三間堂は後白河上皇が創建したんですって!!もともとは後白河上皇が平清盛に建立の資材協力をしてもらって完成したんですって。あの平清盛もこんなところで関係してくるんですね^^
平清盛色々してはりますね。「日本の歴史に平あり」って感じですね。僕が言ってます。
最初?は後白河上皇と平清盛は対立関係やったそうですよ。仲良しになったんですかね?平安時代末期に活躍された方ですね^^
三十三間堂は創建当時は五重塔とか他の建物もいっぱいあったんですけど焼失しちゃったんですって。それで、今の本堂だけ後に再建することにしたんですって。
焼失してしまうのは歴史的に仕方ないことなんですね、、、、じゃあ昔は三十三間堂はこの本堂以外にも見どころ満載寺院やったんですね。
三十三間堂は「通し矢」の舞台!!!
その他に三十三間堂は江戸時代くらいから各藩の弓術家が約121mの長距離で矢を射る「通し矢」の舞台になりだしたそうですよ!!今でも祭典的な感じでイベントとか大会が開催されているそうですよ〜!!
通し矢の約121mってすごいですね??めっちゃ遠くないですか??そんなもんなんですか??
エンディング
今回は外国人観光客も地味に多い三十三間堂に行ってまいりました。京都の歴史を探訪できました。京都の見どころの一つ三十三間堂はいいもんですよ^^
そのほかに京都の見どころに行く人はぜひこちらの記事もチェックしてみてください〜!!
Twitterで@kawamuraryu 他にもいろいろしているのでぜひみてみてくださいね〜!
“仏様の数、三万三千三十三体もいる三十三間堂?その由来は?” への2件の返信