みなさん、りゅう@kawamuraryuです。
今回は最近はやらない人も多いお正月の風物詩の凧揚げを僕も久しぶりにしてみたので凧揚げの由来などを調べてみました。
ほら、楽しそうに凧揚げてるでしょ(^ ^)凧揚げしてるときは、あんまり思わなかったですけど映像で観るとなんかほっこりしますね??
これがジャパニーズカルチャー?いや、でももともとは日本の遊びではなかったそうです。
それでは凧揚げについてレッツリサーチ
凧揚げの由来
凧揚げはもともと5〜6世紀の頃に中国で生まれたそうですよ。それから中国から日本に、、いや!倭の国に伝わってきたものなんだそうです。
昔は凧揚げは戦の戦法の一つやったとされてるんですって。凧を揚げる事によって「味方に今から攻めるぞー!」って合図やったんだとか?
当時は敵に凧とバレな鷲の形に似せてたそうですよ!、、、いや、無理あるやろ!!って誰か言ってそうですね?
鷲にみせてた事から「凧」じゃなくて「紙鳶」と呼ばれてたそうです。
ほーー!!じゃあ凧じゃなかったんですね(^ ^)
戦として「紙鳶戦法」(勝手に名前付けてます)はもういいでしょ?」ってなってからは紙鳶は中国の貴族の遊びになっていったんですって。
貴族というのはどこの国でもすぐ、遊びに変えますね(^ ^)よいよい。
それで、平安時代くらいに中国から「紙鳶」として日本の貴族たちに伝わっていったそうです。
その時はまだ凧揚げじゃなくて「「紙鳶」やったんですね。
紙鳶から凧揚げ?ノンノン最初は「イカのぼり」と呼ばれてた?
もともとは、紙鳶から最初は脚のヒラヒラが2本あってイカのように見えるということで「イカのぼり」と呼ばれていたそうです。
江戸時代ではこの「イカのぼり」がきっかけで喧嘩が勃発したり、参勤交代の時にイカが上空から落下してきたりと、、、社会問題やったそうです。
それで、イカノボリ禁止っていう幕府から禁止令が出されたんですけど、それでもイカノボリ熱が収まらんかったそうですよ。
それで、「イカのぼり」の由来でもある2本のヒラヒラを8本にして「タコのぼり」にして、「これタコのぼりやけど??」みたいな感じ幕府に反発したそうです。
で、幕府はそれを言われて「ぐぬぬぬ。」となったそうです。
えっ?昔は名前変えるだけでオッケーやったの??幕府の人も「やりたい気持ち」があったんじゃないでしょうか?そうやったら人情味溢れてますね。
で、それから「たこのぼり」も禁止にしたそうです。禁止にするんかい。
庶民も「まだ言うか」となってそれから、なら「凧揚げ」ならどうや?ってなって凧揚げって名前にしたそうですよ!!
それで、おそらくもう「勝手にせえ!!」ってなったんでしょうか?「凧揚げ」って名前で定着していったそうです。
凧揚げ一つにもこんなにもいろいろな大変なできごと歴史があったんですね!!!
エンディング
さぁ、今回はお正月では最近やる人も少なくなってきたけど、昔は大ブームを巻き起こしていた遊びの凧揚げでした。
でも、凧揚げってやってる時は楽しいですもんね。また、やってみたいものですね。
それでは、みなさんも良きカルチャーを。
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“お正月といえばでおなじみの「凧揚げ」は昔は「イカのぼり」と言われていたとか??” への1件の返信