みなさん、りゅう@kawamuraryuです。
今回は京都の霊山護国神社に行った時に中岡慎太郎のお墓を見てきたということもあり、中岡慎太郎についての記事を書きましたー。
中岡慎太郎は坂本龍馬とセットでよく話されることがありますが、どのような事をした人物なのでしょうか??
さぁ、中岡慎太郎を探索〜。
中岡慎太郎のお墓や幕末の志士たちのいるお墓がある京都の霊山護国神社に行った時の記事もあるのでぜひチェックしてみてください〜。
中岡慎太郎について
中岡慎太郎は土佐出身で坂本龍馬のドラマ関連でほぼでてくる人物なのではないでしょうか。
中岡慎太郎は武市半平太が結成した土佐勤王党の一員になって志士をやっていた人物ですね。
よく、時代劇とかで土佐勤王党の集団が「尊王攘夷だきぃ〜。」って言ってるシーンをよくテレビで観る人もいるのではないでしょうか。
尊王攘夷は「王様サイコー!」的なスローガンを掲げてる感じの意味あいでしょうか。
土佐勤王党は武市半平太の道場の弟子とかも多くて人数は300〜500人くらいまでの人数にもなったそうですよ。
大きいステージで単独ライブできますね。
でも、土佐勤王党はなかなか過激派でもあって吉田東洋を暗殺したりとかしてたそうです、、、
そんな感じの土佐勤王党に中岡慎太郎もどっぷり身を置いていてたようです。
でも「王様サイコー!」の土佐勤王党ですけど孝明天皇から嫌がられていたんだとか、、、
孝明天皇も「いや、ええねんそんなん!!グイグイくな、、」みたいな感じやったんですかね?
とにかく、本人らが国をよくしようとすればするほど土佐勤王党はだんだん浮いた存在になっていたったそうですね。
皮肉な、、、ものじゃ、、ですね。
で、とりあえず中岡慎太郎は脱藩して長州藩にうつっていったそうです。
で、中岡慎太郎が長州藩にいるあいだに長州征伐で幕府にボコスカやられてる状態で中岡慎太郎も余裕で負傷したそうですよ。
それから西郷隆盛に話し合いの場を持ちかけたりして、坂本龍馬と共に中岡慎太郎は薩長同盟の立役者になったそうです。
薩長同盟の立役者は坂本龍馬のイメージが強いですけど実は中岡慎太郎もバリバリ立役者なんですね。
でも、同じような時代の立ち位置で生きた坂本龍馬と中岡慎太郎ですけど決定的に違うところがあったそうですよ。
それは、坂本龍馬はどっちかというと話し合いで解決したい主義でしたけど、中岡慎太郎は「1番の解決策は武力っしょ。」って感じやったそうです。
中岡慎太郎は武力倒幕の「はーい!賛成」タイプやったそうです。
で、中岡慎太郎は坂本龍馬と共に近江屋事件の時に暗殺されちゃった人ですね。この時、近江屋で何を話していたの?とかはよくテレビの特番でやってますね。
エンディング
さぁ、今回は京都の霊山護国神社に中岡慎太郎の墓があったということもあり中岡慎太郎にスポットを当ててみました。
みなさまも、この記事を読んで志士達の生き様にたそがれてくれてありがとうございます。
その他の伝記
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“実は坂本龍馬とともに薩長同盟の立役者だった武闘派の中岡慎太郎。” への29件の返信