みなさん、りゅう@kawamuraryuです。
今回は金毘羅さんの階段の途中にあった銅像の琴陵宥常についてです。
金毘羅さんに登った事がある人は琴陵宥常の銅像を片目でチラリした事のある人も多いのではないでしょうか??
さぁ、それではさっそく琴陵宥常がどんな人物なのかレッツリサーチ。
琴陵宥常について
琴陵宥常は江戸時代後期から明治にかけての宮司さんやったそうです。
今の「金毘羅宮」って名前を付けた人なんだとか。もともとは「金毘羅大権現」って名前やっそうです。
「金毘羅宮」の名付け主なんですね。
金毘羅さんに観光に行った時の記事もあるのでぜひチェックしてみてください〜。
http://www.ryuchanchan.com/travel/konpira/
琴陵宥常は水難救済制度の必要性を訴えた人なんですって。 琴陵宥常は当時の世界との不平等条約にイライラしてた人なんですって。
イギリスの貨物船が沈没した時にイギリスの乗組員は全員助かって一緒に乗ってた日本人乗組員23人が船に取り残されて全員亡くなっちゃった「ノルマントン号事件」が背景にあるそうです。
当時の日本列島はこの事件で悲しみにつつまれていたそうです。そういう事もあって琴陵は水難救済制度ちゃんとしよ?ってなってたそうです。
それから、いろいろ日本の識者たちに呼びかけたりいろいろして、何年後かに当時の総理大臣に賛同を得て水難救済制度の礎を築いたそうですよ。
金毘羅さんは海上交通や海に関係するご利益もあって、そこで祈るのはもちろん、しっかりと制度としての現実をみてたそんな、琴陵宥常でした。
エンディング
今回は金毘羅さんに観光に行ってる時に琴陵宥常の銅像があったのでどんな人か気になりレッツリサーチしてみました。
金毘羅宮の名付け親で水難事故関連の人って感じの宮司さんでしたね。
それでは、みなさんも良きヒストリアを。
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