みなさん、りゅう@kawamuraryuです。
今回は幕末の英雄の1人でもある。桂小五郎の記事です。
京都の霊山護国神社に桂小五郎こと木戸孝允の石碑もあったということでいろいろ桂小五郎をレッツリサーチしています。
それでは、桂小五郎こと木戸孝允はどんな人だったのか見ていきましょー。
京都の霊山護国神社に行った時の記事もあるのでぜひチェックしてみてください〜。
桂小五郎について
桂小五郎のわりと有名なプロフィールは長州藩のリーダー的存在ってことですよね。さてどんな人物なのでしょうか。
桂小五郎こと木戸孝允は山口県に生まれたお医者さんの家の子だそうです。桂小五郎はリッチ君やったんですね。
生まれは和田家で生まれたんですけど親が「この子ひ弱そうじゃね?」ってなったので武家の桂家に養子にいれたそうです。
ここから、桂小五郎の誕生ですね(^ ^)
でも、実際は渡り船をひっくり返したりと結構ヤンチャな性格に育っていったそうです。
桂小五郎はさらに勉強もなかなかいい感じで優秀な成績やったんですって。
そこから、青年になった桂小五郎は吉田松陰に弟子入りをしたそうです。
桂小五郎はペリー来航の時に「日本はこのままではダメだ」って思った派の1人やったんですね。坂本龍馬と同じですね。
坂本龍馬の記事もあるのでぜひチェックしてみてくださーい。
「桂小五郎か木戸孝允」僕らはどっちで呼べばいいの?
桂小五郎は木戸孝允って名前でもあるので、どっちで呼べばいいの?ってなっちゃいませんか??
なので、桂小五郎が木戸孝允になった経緯をリサーチャー。
結構、簡単な話でした。明治新政府になってから名前を変更したんですって。
これは、この明治新政府になって結構、みんな名前を変更したそうです。
ただ単に「俺も俺も俺も〜。」って感じの流行で名前を変えた訳ではなくて、明治から戸籍法という事で名前を統一しないといけないからだとか。
もともとは、武士には呼び名と諱の二つの名前があったそうですよ。諱というのは人の死後に付けられる名前だそうです。
あと、武士などは隠れるためにガンガン名前を変えたりとか!!名前の感覚は今と明治より昔の人材では感覚が違うんでしょうね。
昔の日本は偽名ホイホイ当たり前フェスティバルやったんですね(^ ^)
まぁ、とにかくそういうのもあってのちに桂小五郎は木戸孝允として岩倉使節団の一員として海外にお出かけしていったそうですよ。
エンディング
さぁ、今回は幕末に大活躍した一人の桂小五郎こと木戸孝允でした!!桂小五郎は子供の頃は割とひ弱やったそうですね。大人になると立派な人になるんですね^^
それでは、みなさんも良きヒストリアを。
他の伝記や伝説の記事もあるのでぜひチェックしてみてください〜。
プロフィールでりゅう@kawamuraryuのこと詳しくなってくださいね〜。
Twitterで@kawamuraryu他にもいろいろしているのでぜひみてみてくださいね〜!
“岩倉使節団の一員でもあった長州藩の桂小五郎こと木戸孝允” への2件の返信