みなさん、りゅう@kawamuraryuです。
今回は支倉常長についてです。支倉常長は天皇の血筋でありながら伊達政宗の家臣としても活躍した人です。
さらにさらにローマ貴族にもなったそうです。貴族??どういうこと??
今回は意味わからん経歴の支倉常長をレッツリサーチ。
支倉常長について
支倉常長は安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した武将なんですって。
すごい血筋の人みたいで、なんとあの桓武天皇の血筋でありながら伊達氏の家臣として戦ってたんですって。すげーー!!
さらにさらに、伊達政宗の指令で「慶長遣欧使節団」としてヨーロッパに渡航してローマ貴族にもなったそうですよ!!すげーーー!!!
ローマ貴族になったのは最初、支倉常長らの慶長遣欧使節団はスペイン国王に貿易の交渉に行ったそうです。
交渉内容はキリスト教の布教活動をもっと日本でもしてほしいとかそういう事だそうです。でも、8カ月交渉続けても全然いい返事がくれなくて、
「やばっ!どうしよ!帰れん、、」ってなってローマに行ってローマ法皇のもとに行ったら歓迎ムードやってローマ貴族の地位もくれたそうです。
なんてこった!、
支倉常長の名前は「六右衛門」やったそうなんですけど、後世になってから作られた家系図で「支倉常長」って名前ですけど、本人の記述とかでは「六右衛門」って書いてるそうです。
慶長遣欧使節団の末裔が現在もスペインにいる??
慶長遣欧使節が帰る一年前くらいに禁教令がだされてキリスト教が禁止されて日本に帰りたくても帰れんくなっちゃったった状態になったそうな?
徳川家康が天下とってなかなか政治の方針が変わってもろにダメージ受けてますね、、、
それで、その子孫が今もスペインのコリア・デル・リオというところにハポンっていうスペイン語で日本という意味の名前のついた一族がいるそうです。
そのハポン達が慶長遣欧使節団の末裔たちって言われているんですって。てか、派遣されていって帰って来れるんくなるってすごいですね、、すごすごすごですね。
エンディング
さぁ、今回はローマ貴族であり桓武天皇の血筋であり伊達家の家臣でもあった支倉常長でした。
宮城県仙台市には支倉常長の銅像もありましたよー!!
それでは、みなさんも良きヒストリアを。
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