みなさん、りゅう@kawamuraryuです。
今回は一万円札でおなじみの福沢諭吉です。福沢諭吉は慶応義塾の創設者ですよね!!
ですけど、結局なにをしたのかよく分からないので、今回はそんな福沢諭吉をレッツリサーチャーしてみました(^ ^)
福沢諭吉について
福沢諭吉は中津藩の出身だそうです。中津藩は九州のあたりですかね!!
でも、福沢諭吉のお父さんは中津藩の大坂蔵屋敷で働いててその時に生まれたのが福沢諭吉ということなので、、
福沢諭吉の生まれは大坂という事になるそうです??
僕で言うと生まれた時から大阪の吹田で育ったけど、生まれたとこ自体は高槻の病院ということで出生地は高槻になってるみたいなことでしょうか??
俺の話は関係ないですたい!!たい!
という事で大坂で生まれたけど父親が亡くなって事もあり福沢諭吉は九州にある中津藩で育ってったそうです。
でも、福沢諭吉は勉強が好きやったので蘭学を学びに大坂にまたやってきたそうです。
蘭学というのはオランダの書物での研究書物とかとにかくオランダが絡んでくる学問ですね^^
大坂で蘭学の勉強は結構盛んやったんですって。地域によって勉強が盛んな場所とそうじゃない場所があるんですね。、、時代ですね。
緒方洪庵の蘭学塾で学んだそうです。その塾で緒方洪庵は一番頭良かったそうですよ!!なんじゃ。
それで中津藩に江戸に行くように指示がでて鳴り物入りで江戸に出た福沢諭吉は築地の鉄砲洲というところで蘭学塾を開いたんですって。
この蘭学塾が慶応義塾のもととなったんですって。よっ!慶應ボーイ(^ ^)
築地市場に観光した時の記事もあるのでぜひチェックしてみてくださーい。
それで江戸にいる時に、あの有名な咸臨丸にのってアメリカに渡ったそうですよ。
咸臨丸は幕府が日米修好通商条約の批准書の交換で出向いた船ですね。
紙を渡すだけで船で行くって大変な時代ですね!!今の時代は便利ですね(^ ^)「テクノロジーありがとうー!!」時代ですね。
それよりもアメリカに行った時の福沢諭吉は「うわーーーー!!すげ、すげ、すっげーーー!!!」
って刺激を受けまくりやったそうです。それで、帰国してまた、その後もヨーロッパに行った時の事をまとめた本が「西洋事情」になるそうですよ。
とにかく、福沢諭吉は海外に刺激受けまくりやったんでしょうね。
福沢諭吉の代表的な著書「学問のすゝめ」とは
福沢諭吉の有名な本は、
「学問のすゝめ」
ではないでしょうか??福沢諭吉の事、全然知らない僕もこの本は知っていました。
でも、いまいち内容はわかりません???この、「学問のすゝめ」というのは、「まぁ、とにかく勉強しな!!」というような内容です。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」
って言葉が「学問のすゝめ」に記載されているし、学問のすゝめを読んだ事なくても聞いたことあるようなフレーズではないでしょうか??
勉強するかしないかで、いい感じの人になるかならんかに分かれるというような事だそうですよ。
エンディング
さぁ、今回は一万円札になってる日本人は誰もが知っているし財布にはいっていたら嬉しい福沢諭吉でした。
福沢諭吉は結局なにした人?って感じでしたけど、今では当たり前になっているような西洋の文化を日本にガンガン広めた人なんですね。
ほんで持って福沢諭吉はかなり努力家で勉強熱心で「アイ・ラブ・外国」の人という事です。
あと、もちろん慶応義塾大学の創設者でもあるのでとにかくすごい人なんですね(^ ^)
それでは、みなさんも良きヒストリアを。
その他の偉人関連の記事もあるのでぜひチェックしてみてください〜。
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“一万円札でおなじみの慶応義塾の創設者の福沢諭吉はけっきょくなにした人?” への1件の返信