みなさん、りゅう@kawamuraryuです。
京都を歩いていると広沢池という池を発見しました^^
大覚寺に向かう道中に広沢池という大きな池を発見!!思わず足が立ち止まってしまいましたとさ^^終わらないよ!
広沢池とは
広沢池は寛朝僧正が朝原山に寺を建立した時に作った池なんですって。寛朝僧正は平安時代の中期くらいの時にいたお坊さんなんですって。結構、昔はお坊さんが池を作るもんやったんですかね??
空海もそんな感じでしたよ。香川の満濃池がそんな感じなので、詳しくはぜひ記事をチェックして見てください〜^^
ちなみに、この僧正っていうのは中国の南朝と日本で仏教の僧と尼を統括するために僧侶が任命された官職の一つの名前なんですって。
寛朝はなかなかのお偉いさんやったんですね。寛朝は宇多天皇の皇子の敦実親王のお子さんになるんですって。ものすごい人でした!!
敦実親王は長生きしたしいろいろな芸達者な人で多彩な人やったんですって。特に音楽の才能がすごかったとか??最終的には仁和寺に住んだそうです。
仁和寺の記事もまたチェックして見てくださ〜い^^
広沢池の別名は遍照寺池とも言われるんですって。遍照寺は今回は行ってないですけど小さいお寺として広沢池の近くにまだ残ってるそうですよ。
遍照寺は昔はなかなかの大きい土地のあったお寺やったんですけど応仁の乱で焼けちゃったんですって。応仁の乱ってめっちゃ焼きまくってますね、、、応仁の乱で焼けちゃったシリーズのお寺なんですね。
京都の龍安寺も応仁の乱で焼けた過去があります〜。詳しくはぜひ記事をチェックして見てください〜。
平安期は月を見るときの名所になってたんですって。貴族が訪れて、みんなで歌を詠んだんですって。昔は今でいう夜景的な感じで月を見ていたんですかね?
この空に月ポンってあるの想像すると確かにいい感じですね^^この池を見ながら歌を詠むってすごいユーモアですね。
照れちゃいそうなもんですけどね。今の日本人から考えると!!照れなく平気な顔して歌をだらだら読んでたってことは相当に貴族の人達は気持ちに余裕があったんでしょうね^^
昔は共感を得れる歌を解きはなてるかどうかが何かしらのステータスではあったんでしょうね^^
ここで一句^^
京都とは
みんなで作った
良い文化^^
おお〜〜〜〜!!!これぞ、一人で何やってんねん状態ってヤツですね。
広沢池の隣にある「児神社」とは
広沢池の隣に児神社っていう神社もありました^^この児神社は児童の「児」の文字があるように広沢池を作った寛朝がなくなった後に遺された侍児が悲観して広沢池に子供達が身を投じたんですって。
それで、その後にその後にこの土地の人々が子供をを哀れんで「児神社」って神社を建てたんですって。
寛朝は子供達に人気があったお坊さんなんですかね??
エンディング
今回は、京都の道中の大覚寺を歩いて向かっている途中にたまたま見つけた綺麗な池の広沢池をたまたま見つけたので立ち寄って見ました^^大覚寺の記事もあるのでぜひチェックして見てください〜。
今回の京都の歴史観光の旅はバスで途中下車しながら歩いたりしてたので歩いて京都をいろいろ廻るといろいろな歴史を発見できそうですね〜^^
まだまだ知らない京都をたくさんこのブログで記事でできればなと今思いつきました^^ぜひこれからもブログ記事チェックしてみてくださいね〜。
いつもありがとうございます。(いつも見てくれているテイテイ!)
京都は他にもいろいろ記事があるのでぜひチェックして見てください〜。
Twitterで@kawamuraryu 他にもいろいろしているのでぜひみてみてくださいね〜!
“子供に大人気だったお坊さんが作った京都の広沢池!” への4件の返信