みなさん、りゅう@kawamuraryuです。
今回は徳川家光の乳母であった春日局です。この春日局はよくドラマや映画の題材にもなる大奥の権力者だった人だそうですよ。
東京ドーム近くにあった東京は文京区春日に行った時に春日局の銅像を発見したのが俺と春日局の出逢いなんだ!!なぜこんな所に銅像が??
そんなこんなで今回は、なかなか波乱万丈な人生だった春日局をレッツリサーチャーです。
春日局について
春日局は江戸時代に活躍した三代将軍、徳川家光の乳母です。
乳母は母親に変わって子育てする人の事を言うそうですよ。じゃあ春日局は徳川家光を育てた人なんですね。
春日局は明智光秀の重臣だった斎藤利三の娘さんなんですって。いったん、美濃の豪族の稲葉正成の後妻になって、それから家光の乳母を務めたそうです。
「なんだ春日局はお嬢様なんだ?」って感じになるかもしれないですけど、実はただのお嬢様ではないみたいです。
春日局のお父さんの斎藤利三が明智光秀の本能寺の変に加担してたって事でお父さんも殺されちゃったそうです。上司に巻き込まれちゃったパターンですね、、
そこからは、いろいろと母方の家の養女になったりと結構いろいろ大変な人生の人やったのかも知れないですね。
春日局は大奥の仕組みをきちんと制度化した人でもあるそうですよ。
しかも、徳川家光は本来は徳川家のなかでも出世路線から少しそれた存在やったらしいんですけど、なんと春日局が徳川家康に直談判しにいったそうです。
その結果、今の歴史の教科書に載って堂々とテストに出る存在になったそうですよ。歴史に名を残す人はまわりがすごい人が多いんですね(^ ^)
今んとこ他は思い浮かばないですけど、、、
さらに、この春日局は大奥の人なんですって。大奥でかなり権力を持っていたあの人がこの春日局になるんだとか。
「人生山あり谷あり」人生の春日局ですね。
そんないろんな事があっても将軍の徳川家光の乳母までなって大奥と呼ばれる人にまでなったって事は、春日局はなかなかのパワフルゴッドねーちゃん!なんですね。
今の東京都文京区春日に春日局の屋敷があったことから春日って地名が付いているそうです。
東京都文京区春日にある礫川公園ってとこに銅像が。
こちらの公園は礫川公園というすごく読み方のムズメな公園に春日局の銅像がありました。
東京ドーム近くにある公園を歩いてると春日局の銅像があったので写真をカシャカシャしておきました。
礫川公園は普通に会社員の人や学生の通行道で何気なくある公園って感じでした。
会社員かどうかは俺の勝手な決め付けですけど、、、
そもそもこの春日の地名が春日局の屋敷があった事に由来しているなんてすごい影響力のある人なんですね。
もっと昔の時代には「春日殿町」って地名やったそうです。おえっ!どんだけ、ゴッドねーちゃんやねん!!
すごい、影響力のある魅力的な女性だったのはないでしょうか。知らないですけど!!
エンディング
さぁ、今回は大奥でもおなじみの女番長のパワフルゴッドねーちゃんの春日局でした。
徳川家光を乳母として育てただけでなく家康に直談判しにいったり家光を将軍までのし上げたすごい人でしたね(^ ^)
それでは、みなさんも良きヒストリアを。
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“大奥の女番長でおなじみの春日局は徳川家光を育てた人でもある=最強だ。” への1件の返信